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2013/12/24

What color do you like?


日付け変って気がつけばクリスマスイヴですね。
ドアがある意味クリスマスカラー。

2013/12/23

Suburbs #3


続・郊外シリーズ。

団地育ちとしては懐かしい画です。

2013/12/19

quiet


夜の静かな瞬間。
風が止まった一瞬を狙う作業は根気がいりますが、撮れたときは嬉しいもんです。

2013/11/25

Shibuya


渋谷というとスクランブル交差点あたりが象徴的なんでしょうけど。

神奈川方面から東京に高速で入ってくるときに、東京だなーと思う場所がこの渋谷の夜景だったりするんですよね。繁華街の、しかも駅前を高速道路がはしってるなんて地方ではなかなかない風景です。

これをアップしてるときにたまたま部屋でかかってたのはTerry CallierのTokyo Moon。

そういえば、次回の写真展は2月くらいになりそうです。

2013/11/17

Stairs


すべてを削ぎ落とすと階段だけになるという例。

2013/11/08

Suburbs #2


さっそくの郊外第2弾。日中に撮ったらまた違って面白そうな場所でした。

2013/10/29

Suburbs #1


計画都市と言うと格好良いのですが、郊外には独特の雰囲気があるように思います。

写真のストックがあるわけではないので、不定期になると思いますが、しばらくのあいだ郊外の写真を撮ってアップする予定です。

2013/10/18

perch


都会の止まり木。

大人の時間の子供の空間ってワクワクしますよね。

2013/09/09

look up at the sky


夜が涼しい日が続いていますが、夏の写真を。

自分の写真を振り返ると、こういった構図の写真が多いような気がします。見上げたときの光の感じが美しいからというのと、東京の空が狭いからというのと、どちらもが要因なんでしょうね。

2013/09/02

end of summer


気がつけばもう9月。暑さの中にも秋めいた瞬間が増えてきました。

2013/08/12

dance on the beach


夜の浜辺は不思議な空間です。

この空気感をもっと撮ってみたい、そう思える写真を久しぶりに撮れました。
これだから写真は面白い。

2013/08/05

summer holidays


画的には大人の休日。

※じっさいは大人数でがっつり唐揚げとかを食べてます(笑)。

2013/07/29

signal colours


やっぱりこの配色は目立つなー。街中がこんなのばかりだと辟易しそうですが。

2013/07/24

Sultry night


夏の夜の裸電球は湿度を連想させます。

この季節の夜の時間感覚って他の季節とは決定的になにか違いますよね。
すごく好きな時間です。

2013/07/09

green house


ここまでくると、涼しさの意味も違ってきそうです。

2013/07/01

Geranium


ゼラニウムの花は不自然なほどに色鮮やか咲き、枯れ始めて初めて自然な色合いになりますよね。"こなれる"と"うれる" を同じように「熟れる」と書くのと通じるものがあるような、ないような。

2013/06/27

past fast


速い=正義みたいな時代もあったんですが、ずいぶんと合理的なことばかり考える世の中になったもんです。面白さと合理性ってどの程度まで両立するんだろ?

2013/06/19

waiting bye


待合室。電車やバスを待つだけでなく、別れを待つ部屋でもあるんですよね。

2013/06/12

go far away


一方、夜のバス乗り場で出発を待つ高速バス。

2013/06/10

go home



帰宅時間の街。思い思いの方向へ。

2013/05/28

midnight walking


変わりゆく街でも、深夜に友人と彷徨う時間は変らず楽しいものです。
なんなのでしょうね、あのテンションは(笑)。

2013/05/27

Please wait..


いま渋谷駅の周辺は至るところがこんな感じ。
いったいいつごろ落ち着くんでしょうね...。

2013/05/22

be in a whirl


ぐるんぐるんと目が回っております。色んな意味で。

2013/05/13

steps


仰ぎ見ると吸い込まれるような感覚。
何かを成し遂げた人にしかわからない視界があると言うけれど、それを現すとすればこういう感じなんだろうな、という気がします。

2013/05/06

waterside


なんだか以前NHK BSで放送していたボブの絵画教室(アフロっぽい髪型のおじさんがあっという間に絵を描く凄い番組です)の絵みたいな写真ですが、GW中に奥多摩へキャンプへ行ったときに撮った写真です。

キャンプから帰ってきて撮った写真を見返してみたのですが、自然に囲まれると写真が上手く撮れないのは克服できなかったようで、ほとんどがボツ・・・。

ま、頑張ろう。

2013/05/03

black‐tailed gull


ウミネコって英語だとblack‐tailed gullなんですねぇ。名付けるときに鳴き声に着目するのか、はたまた見た目に着目するのか。面白いなぁ。

ちょっとライフスタイルに変化があって、写真のストックはあるのにブログの更新ペースが落ちてました。でも色々と刺激をもらって面白い方向に展開出来そうな予感がしています。問題はストックの季節感だなぁ・・・冬の写真をどうしたものか(苦笑)。

2013/04/20

spring has come


まだ寒い日があったりしますが、着実に春めいてきました。ずっと春か秋ならいいのに(笑)。

2013/04/08

Kesennuma city Miyagi Pref. Japan (March 13, 2013)


少し更新間隔が空いてしまいましたが、2013年3月13日に訪れた気仙沼市の様子をアップしていきます。



やはり気仙沼も津波被害の爪痕が色濃く残っていました。




津波で流されたことで有名な第十八共徳丸は鹿折唐桑駅だった場所の目の前まで流されていました。ちょうど線路がある場所が防波堤のような役割を果たしたようで、駅を挟んだ向こう側の地区は無事でした。ごく近い距離でここまではっきりと明暗をわけるとは・・・。






気仙沼市は至る所で地盤沈下をおこしていました。しかし陸前高田市と大きく違ったのは、陸前高田市がまるで時間が止まったようだったのに対して、気仙沼市は生活があり、時間が動いていたことです。

ある種の割り切りが良かったのか、地盤沈下したことを受け早期に盛土を開始したようで、側溝の上から水路を作り、沈んだ駐車場やフェリー桟橋は諦めて、別の場所を確保したり、新たな桟橋を作ってフェリーが発着できるようにしたりと生活に必要なインフラの復旧が進んでいました。主要な道路も盛土をした上で機能していました。

気仙沼は陸前高田と違って、市の主要部が高台にあり、復興に向けて動き出しやすかったという事情もあるとは思います。しかし、こうやってはっきりと復興に向けて動き出していることは素晴らしいと思いました。

よく、マスコミで気仙沼の復興の問題点が指摘されています。もちろん被災地を区画整理して防災計画を立て・・とやっていくと、被災された方に再びなんらかの負担が生じることになるので、問題が噴出することになります。しかし、こうやってマスコミが気仙沼ばかり取り上げるのは、気仙沼へは電車も通っており、交通アクセスが良いので、取材しやすいからなのでは・・?といった穿った見方も、いくつか被災地を実際に見てみるとしてしまいたくなります。もしくは他の被災地は大きな問題点が出てくる以前の段階にとどまっているのか・・・。

今回の旅行で、3箇所ほど被災地を訪れました。どの場所もテレビ等で見ていて想像していたものとは比較にならないほど大きな被害の爪痕を残していたように思います。何度か書きましたが、震災は過去のものではなく、現在も続いているものであり、もっともっと東北を支援していかなかればならないとの思いを強くしました。

2013/03/27

Rikuzentakata city Iwate Pref. Japan (March 13, 2013)


宮城県名取市を訪れた翌日である2013年3月13日、岩手県陸前高田市と宮城県気仙沼市を訪れました。このエントリーは陸前高田市の様子をおさめたものになります。写真の数が多いので、少しずつ、出来る限り客観的に状況説明を加えていくことにします。







陸前高田市へは、いまだに大船渡線が一部不通のため、気仙沼駅から大船渡線の仮復旧として運行が開始されたばかりのBRTで向かいました。BRTとは本来専用道路を通行するバス路線のことを言うのですが、大船渡線BRTは一般道を走行するので、路線バスとあまり変わりがありません。

陸前高田駅は震災前まで沿岸部にあったのですが、現在は高台に移転した陸前高田市役所仮庁舎の前が駅になります。しかし、陸前高田市役所周辺には商業施設がないため、昼食を現地でとるためには1キロほど先の地区まで谷を越えて行く必要がありました。

商業施設の多くは仮設でしたが、沿岸部で津波の被害にあった店舗が多く集積しているようです。スーパーマーケットの前に用意された休憩所に、近所に住んでいると思われるお婆ちゃんが何十人もいたことが印象的でした。








別の谷の方へ降り、使われなくなった線路を横目に気仙川に沿って平野部へ降りていくと、徐々に津波や地震の被害の痕跡が現れてきます。平野部は一部に人の手が加わった痕跡が見られるものの、殆どが荒れ地と廃墟でした。







市の中心部だった方へ向かいます。平野部の線路は撤去されたようで、枕木で花壇が作られていました。また3月11日の2日後であったためか花束がありました。道路がめくれたり隆起したりしたままの場所が目立つようになってきます。








中心部であった地区では残っていたビルの解体が進んでいました。重機とトラックが目立ちます。あとから調べて知ったのですが、所有者が希望すれば国が解体費用を支出すことになったようで、この時点で見えていた建物も、その多くが震災から2年を経て解体されるようです。旧陸前高田市役所などは既にありませんでした。






そんな中、強く印象に残ったのが「米沢商会」と書かれたこのビルです。写真では判りにくいかもしれませんが、建物の上の方に青い看板で「忘れないよ みんなと暮らしたこの町」とあります。また更にその上の煙突部分には「2011年3月11日 東日本大震災 津波到達水位」とあります。

これも後から調べてわかったことですが、こちらのビルの所有者の方は津波が押し寄せる中、この煙突にしがみついて助かったそうです。地上からの高さは14メートル。想像以上の高さに衝撃を受けます。所有者の方はこのビルを解体せず残される意向だそうです。






沿岸部に行くため、瓦礫置き場になっている駅前地区を横切り、小さな川を渡ります。小さな橋ですが欄干がちぎれるようにへし折られていて津波の力の凄まじさを感じさせます。周囲は荒れ地になっています。







踏切だったところを渡って沿岸部に向かっていきます。印象的だったのが、踏切であった場所で工事車両が一時停止を必ずしていたことです。踏切部分を除いて線路は撤去されているので、一時停止をする必要はないはずですが、気づいたときにハッとさせられました。

一方で反対車線の隅にいる私に向かってアクセルを踏みながらハンドルを切り、脅かすような挙動をするトラックもいました。周囲を見ないで撮影して回る被災地観光の人が多くフラストレーションがたまってるのかもしれません(実際、平日の昼間にもかかわらず多くの観光客を見ました。復興と観光の関係の難しさを感じます)。

さらに進んでいくと多くの商店があった地区にさしかかります。津波被害の痕跡が生々しく残ります。











沿岸部に着き、海沿いを歩いて行きます。道の駅をはじめ多くの施設があったようです。どの施設も大きな被害を受けています。一方この日の海はとても穏やかでした。





有名な一本松です。ひっきりなしに観光客が訪れていました。周囲は手つかずのままです。報道でご存知の方も多いと思いますが、枝を取り付ける向きを誤ったそうで、このあと再び枝を付け直すそうです。





一本松を離れ、気仙川を渡り対岸へ向かいます。仮設の橋を渡って行くのですが、横に流された橋の橋桁が残ります。引っかかったままの布団でその大きさがわかるかと思います。対岸には気仙中学校だった建物が残っていました。実際の中学校は仮設の校舎に移っても、地元の人にとってはまだ気仙中学校のままなのだとバス停をみて感じました。


陸前高田市の旧市街地は大きな建物を取り壊している真っ最中だったため、とても砂埃が多くなっていました。一部で盛り土が始まっていましたが、復興への道のりは震災から2年を経過してなおこれからという印象を受けました。

次回は気仙沼市の写真をアップする予定です。よろしくお願いいたします。