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2013/04/08

Kesennuma city Miyagi Pref. Japan (March 13, 2013)


少し更新間隔が空いてしまいましたが、2013年3月13日に訪れた気仙沼市の様子をアップしていきます。



やはり気仙沼も津波被害の爪痕が色濃く残っていました。




津波で流されたことで有名な第十八共徳丸は鹿折唐桑駅だった場所の目の前まで流されていました。ちょうど線路がある場所が防波堤のような役割を果たしたようで、駅を挟んだ向こう側の地区は無事でした。ごく近い距離でここまではっきりと明暗をわけるとは・・・。






気仙沼市は至る所で地盤沈下をおこしていました。しかし陸前高田市と大きく違ったのは、陸前高田市がまるで時間が止まったようだったのに対して、気仙沼市は生活があり、時間が動いていたことです。

ある種の割り切りが良かったのか、地盤沈下したことを受け早期に盛土を開始したようで、側溝の上から水路を作り、沈んだ駐車場やフェリー桟橋は諦めて、別の場所を確保したり、新たな桟橋を作ってフェリーが発着できるようにしたりと生活に必要なインフラの復旧が進んでいました。主要な道路も盛土をした上で機能していました。

気仙沼は陸前高田と違って、市の主要部が高台にあり、復興に向けて動き出しやすかったという事情もあるとは思います。しかし、こうやってはっきりと復興に向けて動き出していることは素晴らしいと思いました。

よく、マスコミで気仙沼の復興の問題点が指摘されています。もちろん被災地を区画整理して防災計画を立て・・とやっていくと、被災された方に再びなんらかの負担が生じることになるので、問題が噴出することになります。しかし、こうやってマスコミが気仙沼ばかり取り上げるのは、気仙沼へは電車も通っており、交通アクセスが良いので、取材しやすいからなのでは・・?といった穿った見方も、いくつか被災地を実際に見てみるとしてしまいたくなります。もしくは他の被災地は大きな問題点が出てくる以前の段階にとどまっているのか・・・。

今回の旅行で、3箇所ほど被災地を訪れました。どの場所もテレビ等で見ていて想像していたものとは比較にならないほど大きな被害の爪痕を残していたように思います。何度か書きましたが、震災は過去のものではなく、現在も続いているものであり、もっともっと東北を支援していかなかればならないとの思いを強くしました。

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